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  治らない? 治せない? 本当にそうでしょうか? あきらめる前に読んでください。 
 
 辛悦式推拿の土台
中国で推拿医師というと、医師資格である。日本と同様、医師になるには大学医学部に入学し、所定の課程を修めることとなる。解剖生理学や病理学などの西洋医学は絶対必須科目である。中医師となると、その上、“技術”が必要となる。例えば針灸、例えば推拿手法、例えば四診(望、聞、問、切といった診断法で機材に頼らずに医師自身の五感を用いて病状を見極める方法)。どんな世界でもそうであるが“技術”を磨くのは非常に難しい。第一には本人の向上心と努力が必要である。そしてやはり、どんな人物に師事するかである。
中医師になるべく大学医学部に入学し、所定の課程をこなす中で、技術を教わる師を生徒が選ぶことは出来ないという。中国で技術を習うとはそういうことなのだ。
推拿を専攻した辛悦だったが、大学においては師に恵まれなかったという。西中医学を問わず、医師にとって医療技術は大事である。同じ中医師で鍼灸も技術が必要であるが、中でも推拿といえば手技治療であり最も技術が必要といえる。それなのに、技術の師に恵まれないというのは一流を目指す者にとって致命的である。
辛悦は医師の家系の出である。推拿を専攻しているにもかかわらず、大学において良い師に恵まれなかった辛悦を両親は放ってはおかなかった。
大学の勉強とは別に、一流の推拿医師のもとに修行に行かせることにしたのだ。

病院の勤務医に師事するために、病院の近くに部屋を借りた。毎朝五時に起床、急いで身支度を済ませると、まだ誰も出勤していない病院に向かった。先生方に心地よく仕事をしていただこうと、清掃やお茶の支度をするためである。
最初のうちは治療中の診察室に入ることすら許されなかったという。
どんな伝手を使おうとも、どんなにお金を積もうとも、“この人になら”と思ってもらえないと決して教えてもらえない、それが技術の世界なのであった。
それをよく知っているからこそ、何とかして師に認めてもらおうと技術以前の努力を怠らなかった。その甲斐あって、ようやく技術を習えることになった辛悦を待っていたのは、驚きの言葉であった。大学で習った技術を披露した辛悦に師がかけた言葉は、“これらの技術は全て間違っている。全部一からやり直しなさい。”という言葉であった。大学で習ったことにも人一倍真剣に取り組んでいただけに、大変落ち込んだそうである。その後、新たなる師の下で一から技術を勉強しなおしたことは言うまでもない。

現代の中国において推拿医師として治療にあたる際には、西洋医学的な診断を用いることが多い。レントゲンやMRIなどがその代表である。的確な治療のためにこれらは確かに重要な位置を占める。また、推拿治療を行うに当たって麻酔薬を用いることもあるし、体質的な改善を必要とする場合は漢方薬も処方するのである。西洋医学と中医学が混在し融合した医療が、現代中国の病院でなされており、推拿医師とはその中で治療を行うのだ。
それ故に推拿医師の治療の仕方には、かなりの個人差があるという。西洋医学に傾倒した治療を行う者、中医学に傾倒した治療を行う者。先ず、診断の段階で違いが現れる。西洋医学の最も特徴的な性格は、科学的根拠に基づいたピンポイント治療である。一方、中医学の性格の特徴は、症状だけではなく証を診る人体経験に基づいた全機的治療である。すなわち、科学的なデータを基に治療を行う者と、中医学独特の四診を基に治療を行う者がいるのである。

中医学はその成立の背景が物語るように、膨大な数の人体経験に基づいた医学であるため、施術者の感覚というのが非常に大切になってくる。それ故に相当臨床経験を積んだ師の下で、臨床から学ばないとなかなか習得出来ないのが事実だ。特に四診はそうである。幼い頃から、中医内科や鍼灸科で修行をしてきた辛悦は早いうちから中医学の臨床経験を積んできた。
西洋医学の医師でありつつ中医学にも精通する祖父、父母の下で育ち、推拿医師を目指していた辛悦は、西洋医学と中医学の考え方や技術を自然と治療にバランスよく取り入れる推拿医師に育っていった。


 
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  二人の師との出会い
辛悦の実際の師は、国の重要政治家の主治医を務めたこともある王福根氏と、馮天有氏である。
王福根氏は軟部組織の疼痛の研究で有名な人でもあり、辛悦の治療法に大きな影響を与えた。軟部組織の病変が見られる箇所に直接働きかけることで治療効果を上げるというのが、王福根氏の治療の考え方である。
一方、馮天有氏は退行変性による脊柱損傷で現れるあらゆる症状に対して、中西両医学の新たな側面から研究を進めた人である。
二人の師との出会いが、後の辛悦の治療方法に大きな影響を与えた。
例えば、軟部組織のわずかな異常も見逃さず、そこに直接働きかけることで推拿の持つ止痛作用を最大限に引出した。また、一見してそこに原因があるようには思えない症状についても、脊柱の異常を正すことによって症状を改善させた。
偉大なる二人の師と出会い、一般的な西洋医学と中医学の考え方の枠を超えた発想力を身に着けた辛悦は、独特な考え方と手法によって
中医推拿医師となってからも高い治療効果をあげ、周囲を驚かせたという。


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     辛悦式推拿の成立
 日本における推拿と、中国の病院での推拿では決定的に違う点があった。それは中国では正統な医療行為として認められている推拿も、日本ではただの整体と思われていることであった。中国では医師として認められていた辛悦も、日本では一般の整体師なのであった。
中国で中医師といえば医師であり、鍼灸施術もできれば漢方薬を処方することも出来た。しかし、整体師という立場である日本では役に立つのは唯一手しかなかった。
整体施術を行う過程で、症状が一時悪化することはよくあることであるが、それを相手に分かるように日本語で説明し、信用してもらい、治療を継続してもらうことは至難の業であった。。中国から日本語力ゼロで単身日本に来た辛悦にとって、これは大変な問題であったという。徹底して語学力を上げるため、日本人の中に溶け込むように努力したという。
更に、健康保険適用ではないため100%実費で治療を受けてもらうには、出来るだけ短期間で治療効果を出すことが課題となった。頼りになるのは自分の手しかなかった。手の使い方、手の感覚、臨床経験で学んだ知識を総動員して、出来るだけ早く、出来るだけ効果的に、出来るだけ気持ちよく、施術する方法を模索し続けた。
中国での師である王福根氏と馮天有氏から得た知識と技術が非常に役に立った。大学で学んだ西洋医学の知識、幼い頃から馴染んできた中医学の知識と技術が土台となり、辛悦独特の施術法と考え方が生まれていった。
辛悦式推拿の考え方を一言で説明するのは難しいのだが、西洋医学、中医学のどちらにも偏らず症状に対して広い見方をし、患者の身体のわずかな違和感も見逃さず患部に的確な刺激を与えるにはどうしたら良いか常に工夫することが治療の前提であるとする。
中医師時代の膨大な臨床経験を活かし、来日以降の創意工夫の上に、辛悦式推拿は成立したのである。

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